歯科と全身

歯科と全身

口腔と全身の健康

口腔と全身の健康

「食べる」――それは、人間が生きていくために必要な行為です。その代償として、身体の入り口である口は常に外来の細菌、ウイルス、アレルゲン、異物にさらされます。これらの危険から身体を守るために、私たちにはとてもよくできた免疫機能と神経機能が備わっています。
しかし、口腔や、それに続く気道では、異物を身体から排除しようとするはたらきから「慢性の炎症」が起きることがあります。その時、その部位の症状がひどくなくても、全身の免疫や、神経機能に影響を与えることがわかってきました。つまり、口の中の問題が、一見すると全然関係ないさまざまな身体の不調や病気につながっているということです。

このような考えは、紀元前からありました。医学の父といわれるヒポクラテスの時代から「身体のどこかに慢性的な炎症があると、それが原因で離れた場所に病気が起こる」という考えがあったのです。

口腔と全身の健康

現代ではこの概念を「病巣感染」と呼び、それによって引き起こされる病気を「病巣疾患」と呼んでいますが、まだあまりメジャーではありません。原因と症状が離れていると、どうしてもその因果関係を突き止めることが難しいうえに、そもそも臓器別の専門家に分かれてしまっている現代医療の盲点のような疾患だからです。

全身に影響する口の中の問題について

口の中の問題のうち、主に下記の4つが全身に影響することがわかっています。

  • 歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸
  • 自覚症状のない歯周組織の炎症
  • 口腔内細菌のバランス
  • 歯科金属材料

最新の分子生物学分野の発展や多くの先人の医師の努力により、「病巣疾患」の概念は時代をまたいで注目を浴びています。

寿命こそ伸びたけれども、生活習慣病により健康寿命が十分とはいえない現代、私は、ひとりでも多くの方に、なぜ身体の玄関口である口を守ることが全身の健康を守ることにつながるのかを知っていただきたいと思います。
それでは、ひとつずつ説明していきましょう。

1:歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸

口呼吸は免疫と自律神経のバランスをくずし、さまざまな病気の原因になります。口呼吸を続けると歯並び・噛み合わせがくずれやすいことは100年以上前から知られていました。

歯並び・噛み合わせの問題は遺伝要因もありますが、環境要因という、産まれてからどういう環境で育ったのかがかなり強く影響することがわかっています。その環境要因の中でも大きな影響力をもっているのが口呼吸です。鼻が詰まるのが原因か、悪い癖が原因なのか、本来、鼻で呼吸をする人間が、口で呼吸するのが常習化するとさまざまな問題が生じます。

口呼吸の際には、本来は口が閉じるときに上顎につくはずの舌が下顎の歯列の中に収まり、上顎の歯を横に押し広げないので、上顎の骨の成長を悪くします。そのために上顎の歯列がV字状に狭まり、とくに前歯の噛み合わせが悪くなるのです。前歯が噛み合わない状態は、くちびるの閉じにくさも相まって出っ歯につながります。

1:歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸

さらに口呼吸が楽になるよう、首がやや後ろに曲がった状態で口を開くので、下顎を大きく下方向に引く力がはたらき、面長になる傾向もあるのです。

1:歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸
1:歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸
出典:John Mew 著 「不正咬合の原因と治療」

そして、頭の位置がずれると当然その重さとバランスを取らなければならない背骨、骨盤、足など首から下の構造にも余計な負担がかかり、「ずれ」が生じたりして、骨格や、姿勢にも大きな影響をおよぼします。

また、口呼吸だと、冷たく乾燥した空気がそのまま身体の中に入ってきて喉の奥を刺激するだけでなく、鼻毛を介さないので、空気中の塵、細菌、アレルゲンなどがダイレクトに侵入します。さらに口の中があ乾燥するため、唾液の抗菌作用がはたらきにくくなり、細菌が増えやすいうえ、鼻と口の両方からの空気が喉の上の方で滞留して慢性的な炎症反応を起こしやすいのです。

この鼻の奥、喉の上は上咽頭とよばれ、ここでの炎症を「慢性上咽頭炎」といいます。この慢性上咽頭炎も病巣疾患にとても大きな影響力があります。理由は、上咽頭はリンパ球(※)が豊富で免疫応答(有害物質から身体を守る免疫機能の反応のこと)の要になるだけでなく、神経組織もたくさんあるので自律神経のバランスを保つうえでも、とても重要なはたらきをするからです。
(※リンパ球:白血球の成分の1つで、体内に入ってきた異物を攻撃します。さらにその異物を記憶して、再び入ってきたときには記憶に基づいて排除する働きを持っています)

1:歯並び・噛み合わせの問題と口呼吸

近年、口呼吸の癖を持つ方がとても増えています。それは、「硬い物を噛む機会が減る」、「食事を家族で摂る機会が減る」などにより「正しく食べる」習慣が子どもに身につきにくい環境になっているからかもしれません。

また最近の研究では胎児期の母親の姿勢によって、赤ちゃんの首が反り、口呼吸しやすい悪い姿勢がつくられる傾向があるという報告もあります。つまり、予防の機会は産まれる前から始まっているのです!

参考文献:丸茂義二、市川和博 他 歯突起をめぐる諸問題 1.歯突起異常と頭位 小児歯科 臨床(2020年4月)

2:自覚症状のない歯周組織の炎症

2:自覚症状のない歯周組織の炎症

歯の病気は全身に飛び火します。

歯のまわりの組織(歯周組織)の炎症は2つのタイプに分けられます。1つは、歯のまわりの歯ぐきが細菌感染して炎症を起こす歯周病や歯肉炎(過去には歯槽膿漏と呼ばれていました)、もう1つは、虫歯がひどくなり、歯の神経が死んでしまったあとに歯の根っこに膿がたまる根尖性歯周炎です。つまり、歯ぐきの問題と根っこの問題の2つです。

この2つの問題には共通点があります。

  • 細菌による感染症
  • 自覚症状があまりない(痛くなりにくい)

つまり、静かに気づかずに進行する細菌感染による慢性炎症なのです。そしてこの慢性炎症は全身へと波及して病巣疾患の源になることがわかっています。

なぜ、歯のまわりの小さな炎症が全身へ影響する力をもつのでしょうか?
ここには3つのルートがあります。

  • 歯ぐきの血管を通じて細菌や細菌の放出する毒素が全身へと流れる
  • 歯ぐきの血管を通じて免疫応答の結果、生じる炎症物質が全身へと流れる
  • 口の中の歯周病菌、虫歯菌が唾液と共に腸内に流れ込み、腸内環境を乱す

この3つのルートを介して、人間の身体に作用し続けた結果下記のような疾患に影響することが示唆されています。

肥満、脂質異常症、高血圧、動脈硬化、糖尿病、脳血管障害、心臓疾患、認知症、炎症性皮膚疾患、炎症性腸疾患、ウイルス感染症、肺炎、非アルコール性肝炎、妊娠トラブルなど

昨今では、新型コロナウイルス感染症の重症化リスク、死亡リスクとの相関も取りざたされはじめています。

2:自覚症状のない歯周組織の炎症

口は身体の玄関口です。ウイルスや細菌などの好ましくないものもたくさん入ってきます。そのときに、そこに「炎症」=「傷」があれば、外来の異物の侵入部位になってしまうのです。

とくに歯周病から多く検出されるPorphyromonas gingivalis (ポルフィロモナス・ジンジバリス)はタンパク質分解酵素をもっているため人間の身体に侵入しようとする力が強く、ウイルスも一緒に入り込ませてしまいます。

そのため、歯周組織の病気に関しては、症状があるから治療をするのではなく、定期的に自身の状態を確認し、確実な方法で対処しておく必要があるのです。

3:口腔内細菌のバランス

3:口腔内細菌のバランス

口の中の細菌は血流に乗る、唾液で運ばれるなどで全身に影響をおよぼします。

口の中には500種類以上、トータルで1000億匹以上の細菌が住み着いているといわれています。さまざまな菌が相互に作用しあって、ときには外敵から人間を守る反面、ときには病気の引き金になります。

近年、今までの医学では原因がわからなかった病気(慢性的な歯周病、腸の炎症、皮膚や生殖器の感染症)の多くが、細菌のバランスのくずれによるのではないかという見方が広まってきました。また、ある種の菌の「多い・少ない」の測定で、末期になるまで気づきにくい膵臓がんのリスク判定ができるのです。

論文:Metagenomic identification of microbial signatures predicting pancreatic cancer from a multinational study Naoyoshi Nagata*, Suguru Nishijima* etc

3:口腔内細菌のバランス

ノーベル生理学・医学賞を受賞したJoshua Lederberg(ジョシュア・レダーバーグ)は以下の発言をしています。

「『人間が善、細菌が悪』という考えをやめ、『宿主とその共生細菌』は、それぞれが遺伝子レベルでつながった超個体(superorganism)と見なすべきである」。

ちょっと難しい表現ですね。例をあげると、
単純に虫歯や歯周病といった口の中の病気をみても、原因となる菌は誰もが持っている常在菌です。しかし、何かのきっかけでそのバランスがくずれると病気として人体にとってマイナスな影響をおよぼすということです。

さらに、細菌の世界を分析する技術が発達してきたことで、今までは考えられなかったことが次々にわかってきています。例えば、健康な口の中に住んでいる菌たちが、ヒトの腸内でも検出されるのです。これは胃酸という強いバリアがあったとしても、口の中の環境が全身の免疫の中枢である腸に大きな影響力をもっているという手がかりを示しています。

論文:Extensive transmission of microbes along the gastrointestinal tract. Thomas Sb Schmidt et al, Elife. 2019

また、ヒトの唾液を無菌マウスに飲ませてみると、無菌マウスの腸内がなんとヒトの腸内細菌バランスと似たような状態になったという実験結果があります。

病気に関する研究でも、ヒトの歯周病菌をマウスに飲ませ続けると腸内の細菌バランスが変化するだけでなく、全身の脂肪組織での炎症反応や肝臓での脂肪の蓄積が生じます。これは肥満、肝炎の発症であり口腔内環境が全身の炎症性疾患に関与することの1つの証拠です。

論文:Oral pathobiont induces systemic inflammation and metabolic changes associated with alteration of gut microbiota. Arimatsu Kei et al, Sci Rep. 2014

3:口腔内細菌のバランス

今までの歯科の考え方は、いかに細菌を除去するかにフォーカスしてきました。ひたすら除菌の世界です。しかし、それは身体を守ってくれる菌も減らすリスクがあるので、理想的な予防方法ではないと考えられます。

最近の知見では、いかに細菌と共生できるようにバランスをとるかという点がフォーカスされています。私の臨床現場では、唾液検査から一人ひとり異なる口の中の菌のバランスを知り、その結果をもとに、症状や目的に応じた有益な菌を積極的に摂取することでオーダーメードの口腔衛生治療を実践しています。

口はヒトの身体の玄関口で、川でいえば、上流に位置しています。その環境が下流に大きく影響することを、より多くの方に知っていただきたいのです。

4:歯科金属材料

4:歯科金属材料

歯科治療に金属を使うことは過去の常識になりつつあります。

しかし、日本の健康保険では、歯の治療に金属材料を使用することが当たり前になっています。処置が比較的かんたんで、昔から重宝されてきた治療技術ではありますが、口の中にとどまる重金属は身体にさまざまな影響をおよぼすことがわかっています。

口の中の金属は時間が経つとともにイオン化します。イオン化とは簡単にいえば溶け出すことです。唾液中に溶け出した金属イオンは歯ぐきの毛細血管から全身へ流れ、また食べ物などと一緒に腸に運ばれ、そこで吸収されて体内へと流れていくことがあります。

重金属は体内では異物と見なされるので、免疫細胞から攻撃を受けて炎症反応を引き起こします。その反応がとくに強いのが金属アレルギーですが、そうでなくとも異物が体内に入る以上多かれ少なかれ異物排除のために不必要な炎症反応が起きてしまうのです。

現代の日本では、金属アレルギーを訴える方は年々増えています。

4:歯科金属材料
日本皮膚科学会接触性皮膚炎診療ガイドライン2020  表 2 ジャパニーズスタンダードアレルゲン陽性率の年次変化(1994 ~ 2016 年度)より、Nickel sulfateのデータをもとにカムシルが作成

金属アレルギーは強い炎症反応ですが、金属アレルギーと聞いてどんなことを思い出しますか?

ネックレスやピアスなどを身につけて、赤くなったり、かゆくなったりすることを思い出すのではないでしょうか? これは「アレルギー性接触皮膚炎」といって金属アレルギーの1つのタイプです。原因となる金属が直接患部に触れているので何が悪さをしているのかがわかりやすい病気です。

一方で、一般の方にはあまり知られていない金属アレルギーがあります。それは歯科金属や食品の中に含まれている金属が、イオン化して口の粘膜や消化管で吸収されて、血流に乗って全身に運ばれていく中でアレルギー反応を起こすものです。

このような金属アレルギーは「全身性接触皮膚炎」と呼ばれ、原因と症状が出ている部位が離れているためわかりにくいアレルギー反応です。代表的な症状は、皮膚の湿疹・水疱・かゆみ、爪の変形、脱毛、関節痛、お腹の不調、全身の倦怠感などです。

4:歯科金属材料

何年も皮膚科に通って薬を塗っているのになかなかよくならない湿疹や、整腸剤を飲んでも改善しない下痢が、口の中の金属をすべて取り除くことで改善するケースはよくみられます。世界的には、日本で使われるような金銀パラジウム合金(いわゆる銀歯)は使われません。ヒトの身体に対してこのような金属を用いるメリットがないからです。

今は、ご自身の口の中の金属がどの程度溶け出しているのかを、その場ですぐ調べることができる検査もありますし、アレルギーになっているかどうかも採血検査のみでわかる時代です。しかしながら、一番の予防は「金属を使わないこと」そして何か異物を詰めるような状況にしないように「虫歯を未然に防ぐこと」なのは間違いありません。

医科と歯科を分断せず、健康づくりに役立つ歯科の情報を伝えたい

さいごに

身体の玄関口にあたる口は、皆さんの想像以上にあらゆる面から身体に影響を与えています。しかし、現代日本の医療では医科と歯科はすっかり分断されており、多くの医療者は自身の専門領域ばかりに目が向いているため、病気の真の原因が放置されたまま症状だけを抑える治療に終始することは珍しくありません。

私は、最新の論文、知見と実際の診療現場の情報をもとに、健康づくりにどう歯科が役立つかを発信していきたいと思います。